はじめに

最近、昭和に流行したモノがあらためて見直され多くの人の目に触れるようになってきている。
昭和に多感な青春時代を過ごした人には嬉しい限りだろう。そんななか真っ先に思い浮かぶのはやっぱりAVではないだろうか。
1980年代の半ばくらいから広く普及したAVは、当時の青少年の心と下半身を癒してくれた。
私もそんなひとりで、出演の女の子たちがどんどん可愛くなり、プレイも過激になる過程、つまりアダルトビデオの進化と併走しながら、下半身も成長してきた実感がある。
当時のエロを思い出すことは、かつての自分自身に戻り懐かしむ気持ちがわきあがるのと同時に、下半身に感じたかつての刺激もよみがえらせてくれるはず。
そんな私が今回取り上げたいと思っているのが、小林ひとみだ。
小林ひとみは、いまでいう〝セクシー女優〟のひとりで、当時もっとも人気があった女優だった。
なぜ人気だったのか。ほかの女優たちとなにが違っていたのか。
そんな話を展開していきたいと思っているが、その前に、〝AV〟という呼称について解説してみたい。
AVの誕生と同時に、〝AV〟という呼称が使われたのかというとそうではない。
アダルトビデオがAVという名称になる過程

いま広く使われている〝AV〟は、以前は〝アダルトビデオ〟という呼び名が一般的だった。
90年代に発行されたアダルト雑誌によると、〝アダルトビデオ〟という呼び方がなされるようになってきたのが1983年とのこと。
では、それよりも前はなんと呼ばれていたのかというと〝ポルノビデオ〟だ。
また、ポルノビデオと呼ばれるもののなかには、ピンク映画やロマンポルノという映画系の映像が含まれていた。というか、映画系作品が中心だった。
ポルノビデオから、後にAVと呼ばれるものが、〝アダルトビデオ〟という呼び名を得て独立していったということだ。
つまりは、当時、それだけアダルトビデオの存在が大きくなっていたともいえるだろう。
以後、アダルトビデオが知名度をあげていく一方で、映画系ビデオは衰退していくことになる。
ちなみに当時も〝AV〟という名称はあった。
しかし、〝AV〟単体ではあまり使われず、
アダルトビデオギャルではなくAVギャル、アダルトビデオデビューではなくAVデビューというように、AVと別の言葉をいっしょに使うときに、〝AV〟が使われ、
映像またはビデオソフトのことは、AVではなくアダルトビデオと呼ばれていたようだ。
当時、オーディオとビデオを統合した新しい家庭用システムのことを、音響業界では〝オーディオ&ビジュアル〟、イニシャルを取って〝AV〟と呼称しており、そちらと混同してしまうことへの配慮があったものと思われる。
レジェンド女優・小林ひとみを振り返る

さて、いよいよ小林ひとみだ。小林ひとみは、アダルトビデオ初期のアイドルだった。
当時、AVギャルのアイドル化が進んでおり、それだけビジュアルが目をひくAVギャルたちが多数デビューしていたことにも注目したい。
アイドル化とは、具体的にいうとレコードのリリースとテレビ番組への出演だろう。
『ピンクのカーテン』っていうアダルトアニメの主題歌をリリース。その楽曲を深夜番組で歌う姿も印象的だった。
当時、やはり人気だった秋元ともみや、時期は少し後になるが、かわいさとみなどの美少女のように、〝アイドル的〟なプロデュースとは少し毛色が違っていたが、アイドル的な人気だったのは間違いない。
その人気を支えていたのは、やはりお嬢様系の清楚なルックスだろう。
とらえどころがないような、いまでいうところの〝ふんわり系女子〟という雰囲気を、当時感じていたファンも多かったのではないだろうか。
そんなルックスにもかかわらず、服を脱いだときにまず目に入るのが、理想的なかたちのおっぱい。
バストが豊満なのにもかかわらず、スレンダーなボディでスタイル抜群。
当時はそんな言葉はなかったが、いまでいう〝細身巨乳〟だった。
ところで、小林ひとみのデビュー作は『ときめき・かおり19歳』(ダックス)。〝松本かおり〟名義の出演になっており、2作目以降〝小林ひとみ〟と改名されている。
このデビュー作は、カラミ無しのイメージ作品だった。デビュー作がリリースされた同じ年に、〝小林
ひとみ〟名義で2作目の『禁じられた関係』(VIP)がリリースされ、AV女優として本格的に始動することになる。
作品をリリースするごとに人気は高まり、『燃えつきるまで』(VIP)は1万本以上のセールスを記録。
そして、デビューから約2年間で30本以上のアダルトビデオに出演して、78億円を稼いだといわれている。
当時のギャラは1本につき200万円とも300万円ともウワサされていた。
AV女優のルックスの向上が、AVファンの増加を促したことは間違いないが、小林ひとみの高額な出演料も、アダルトビデオが社会的な注目を集める役割を担い、ひいてはアダルトビデオの認知度アップにもつながったと考えられる。

アダルトビデオの3大潮流と小林ひとみの特殊性
小林ひとみの人気が爆発していたころ、アダルトビデオ女優にはおおきく3つの流れがあったといわれている。
ひとつは秋元ともみや麻生澪など、いわゆる宇宙企画の美少女路線。もうひとつは黒木香の登場で脚光を浴びた村西とおる監督を擁するクリスタル映像のガチ本番路線。
そして残るひとつが小林ひとみだった。クリスタル映像のガチ本番路線はほかのふたつと気色が違うのは明らかだが、宇宙企画の美少女路線と、小林ひとみとの違いは何だろう。
宇宙企画の美少女たちが素人っぽさをウリにしていた一方、小林ひとみはドラマ作品で魅力が最大限に引き出された存在だったのではないだろうか。
加えて、少しカゲのある雰囲気も、ほかのアイドル女優とは一線を画していた。
小林ひとみの登場以降、〝ビデオ女優〟という名称が使われるようになってくる。つまり、AVギャルを〝女優〟とする認識が広まっていく。小林ひとみがそのきっかけだったといえるだろう。
本番無しで演技で魅せる小林ひとみに最適な名称ではないだろうか。
それが、いまの〝セクシー女優〟という呼び方にもつながることになり、ビデオ女優の先駆けだったのはもちろん、アダルトビデオ史においてエポックメイキングな存在だったといえる。
おわりに

以上、レジェンド女優・小林ひとみの話を中心に1980年代のアダルトビデオについての話を展開してきた。
ところで、先に挙げた小林ひとみのレコード『ピンクのカーテン』は同題名のオリジナルアニメ作品の主題歌で、小林ひとみは妹役の声も担当している。兄を好きになる妹の役、つまり訳ありだったが、
私のオススメ作品はそんな訳ありの役柄を演じた『背徳の絆』(KUKI)。
全盛期ではなく1990年代後半のリリースだが、彼女が義母に扮し義息子と関係を持ってしまう役を演じている。
熟女の小林ひとみを堪能できることに加えて、彼女がデビュー当時から持つカゲのある雰囲気が、熟女になって濃縮したことで見事にエロく昇華されたといえるのではないだろうか。
それに関しては次回にくわしく書いていきたい。