スカートの中の秘められたエロス ~ノーパン喫茶と「アクション・カメラ術」~

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スカートの中にあるのは〝パンツ〟ではなく〝パンティ〟

パンティのことを考えるとハッピーな気持ちになる
パンティのことを考えるとハッピーな気持ちになる

第六回の記事(唯我独尊フェチシリーズ【脚フェチ万歳!】~美脚は愛でるためにある~)で美脚について大いに語ったが、今回は美脚のさらに上、スカートの中の魅力を中心に語っていきたい。

女性のスカートの中に何があるかというと、もちろんパンツだ。

ところで、けっこう前から〝パンツ〟というと、ズボンのことを指すのが一般的になっている。おそらく女性ファッション界隈で使われていたものが、われわれ男性のほうに流れ込んできた結果だと思うが、下着も〝パンツ〟で、ズボンも〝パンツ〟だと訳がわからなくなってしまう。

少なくとも昭和の頃は、女性がはく下着は、〝パンティ〟というのが男たちの共通言語だった。しかし、〝(下着の)パンツ〟の台頭により、〝パンティ〟はすっかり隅に追いやられてしまい、令和のいま、〝パンティ〟というととても古臭い印象が強い。というか死語になっているといってもいいのではないだろうか。

Tバックは、お尻の肉とパンティが同時に目に飛び込んでくるところがいい
Tバックは、お尻の肉とパンティが同時に目に飛び込んでくるところがいい

ちなみに、〝ボイン〟というのもその一種だろうか。さらにいうと、〝パンスト〟も使われなくなっていると聞いている。時代の移り変わりとはいえ、かつて当たり前のように使われていたいろいろなエロ単語が消えていくのは悲しい限りだ。

というわけで最近はマイナーな単語となってしまった〝パンティ〟だが、昭和の頃はキラキラと輝いていた。〝パンツ〟と聞いても冷静でいられるが、〝パンティ〟と聞くと、下半身がモヤモヤとした経験は私だけではないはずだ。「男性がはく下着=パンツ」という認識だった影響も大きいため、昭和オヤジの頭の中は「〝パンツ〟≒女性がはく下着」というわけで、〝パンツ〟に女性臭さを感じないということだろうと思う。

つまり、女性のスカートの中にあるのはもちろん〝パンティ〟だった。そのスケベな引力たるや、多くの男たちを魅了し、挙句の果てに、全国各地に〝ノーパン喫茶〟なるものすら誕生させてしまう。

ノーパン喫茶の誕生~男たちはスカートの中が見たい!~

ノーパン喫茶の第一号店については、諸説あるようだ。

「昭和55(1980)年6月、日本初のノーパン喫茶『モンローウォーク』が京都に登場する」(「フーゾクの現代史」生駒明著 清談社 2022年)という記述もあれば、「1978年に京都にオープンした『ジャーニー』という喫茶店が、その始まりだった」(「日本昭和エロ大全」辰巳出版 2020年)という記述もある。

最盛期には、全国で800店以上のノーパン喫茶があったという

いずれにしても、1980年前後に〝ノーパン喫茶〟なるものが誕生し、全国各地に広がっていったようだ。ボディタッチやウエイトレスとの会話はないが、連日行列ができるほどの人気だったとも。また女の子はスカートの下にパンストをはいており、そのためか初期は『パンスト喫茶』と呼ばれることもあったとのこと。

ちなみに、コーヒー1杯が1000円以上だったという。すこし調べてみたが、当時、といっても昭和50年(1975年)だが、普通の喫茶店でのコーヒー1杯の値段は230円~250円だったらしい。

〝ノーパン喫茶〟は、女の子との接触はないため、ソープランドやファッションヘルスのような、いわゆる風俗店ではない。喫茶店としては高額な料金だが、女性のスカートの中を見ることができると思えば、リーズナブルといえなくもないだろう。値段が高いか安いかというよりも、ウエイトレスが〝パンティ〟をはかずに接客するという刺激と目新しさが、ノーパン喫茶のいちばんのウリだったように思う。

スカートのなかの空間に、全国の男たちは魅了されてしまう

ノーパン喫茶は、週刊誌や深夜テレビなどで取り上げられ、知名度がさらにあがっていくことになる。しかし、いくら知名度があがったところで、中高生を含む18才歳未満の青少年は店内に入ることはできない。

妄想がふくらみ過ぎて下半身はパンパンだっただろう。また当時、ノーパン喫茶が全国に拡大していたとはいえ、店舗があるのは都市圏の繁華街のみ。全体でみれば、都市圏の繁華街へのアクセスが簡単ではない男性のほうが圧倒的に多い。

地方から観光がてら、東京や大阪などの繁華街に行く男性も少なくなかったとはいえ、当時、ノーパン喫茶を気軽に体感することができたのは、「成人男性で都市圏の住人」ということになる。つまり、全国に店舗が拡大していたといっても局所的な動きであり、ノーパン喫茶に興味を持っていた男性のすべてが体感できたわけではない。では、「成人男性で都市圏の住人」でなかった男性たちの興奮は満たされることがなかったのだろうか。

大ベストセラー「アクション・カメラ術」とスカートの中の秘められた世界

大ベストセラー「アクション・カメラ術」。PART3ではアメリカへ!?
大ベストセラー「アクション・カメラ術」。PART3ではアメリカへ!?

そんななか発売されたのが「アクション・カメラ術」(馬場憲治・著 KKベストセラーズ 1981年1月5日発行)だ。〝盗み撮りのエロチシズム〟というサブタイトルが付いている。

私の手元にある初版本は1981年6月25日発行の207版。半年足らずの間に、207回もの増刷がかかったということで、とんでもないベストセラーだったことがうかがえる。

ちなみに、表紙をめくった、カバーの折り返し部分に、当時、若手として売出し中だったタモリの「のぞき」という男の本音をこれほどマジに追っかけた精神(ユーモア)にさすがのオレも脱帽した!」という言葉が掲載されている。若手だったタモリを起用したことからも想像できるが、当時のおもな読者層は流行に敏感な青少年だったように思う。

もちろん大人も買ったからこそベストセラーになったのは間違いないが、〝ノーパン喫茶〟ブームでスケベな妄想を膨らませたものの、ノーパン喫茶を体感できなかった青少年の〝スカートの中への渇望〟がここにきて爆発したのではないかと思ってしまう。

つまり、スカートの中を見たい青少年たちの興奮は「アクション・カメラ術」である程度満たされたというのは飛躍した見方ではないように思う。

時期的に〝ノーパン喫茶〟のブームと重なっていることに加えて、第六回の記事でも書いたが、「アクション・カメラ術」の隠されたテーマは〝美脚とスカートの中のエロ〟だからだ。

「アクション・カメラ術」がベストセラーになったことを受けて創刊された月刊誌。しかし、〝盗み撮りのエロチシズム〟的要素はほぼなく、若者向けのアイドル雑誌だった
「アクション・カメラ術」がベストセラーになったことを受けて創刊された月刊誌。しかし、〝盗み撮りのエロチシズム〟的要素はほぼなく、若者向けのアイドル雑誌だった

大ベストセラーの「アクション・カメラ術」はパート3まで発行されており、パート3はアメリカにまで進出。パート3のサブタイトルは「ヤンキー娘のエロチシズム」だった。

また著者の馬場憲治が「アクション・カメラ術 PART2」で興味深いことを書いている。彼は、幼稚園の頃、虫になりたかったという。理由は「先生のスカートのなかにもぐり込んで、その秘められた世界を旅したかったからだ」とのことだ。

つまり、スカートの中のエロがテーマであると、著者自らが主張していると考えてもいいだろう。

彼にかぎらず、女性のスカートの中が秘められた世界で、覗いてみたいと思っていた青少年が多数いたことが本書が爆発的に売れた理由のひとつはのは間違いない。

累計100万部売れたといわれている「アクション・カメラ術」の影響はすさまじく、のちに〝カメラ小僧〟なる存在を生み出すことになる。1980年代半ば以降、女性アイドルのステージにカメラを持って群がるカメラ小僧は風物詩になり、その影響からか、投稿写真系のエロ雑誌も多数誕生した。

かくして、「スカートのなかの秘められた世界」は、大人の世界では〝ノーパン喫茶〟で開放され、青少年の世界では「アクション・カメラ術」で開放された。

高尚な表現を使うと、すべては未知なるものへの探求心といえなくもない。

「セクシーアクション」(サン出版)。「アクション・カメラ術」で〝目覚めた〟青少年たちがカメラを持って街に出た結果、投稿写真系のエロ雑誌を生み出すことになる
「セクシーアクション」(サン出版)。「アクション・カメラ術」で〝目覚めた〟青少年たちがカメラを持って街に出た結果、投稿写真系のエロ雑誌を生み出すことになる

「ノーパン喫茶の女王」イヴ

ノーパン喫茶の女王・イヴ。「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン
ノーパン喫茶の女王・イヴ。「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン

ノーパン喫茶を中心にあれこれと語ってきたが、ノーパン喫茶ときいて条件反射的に〝イヴ〟という名前が頭に浮かぶ昭和人も多いのではないだろうか。

「ノーパン喫茶の女王」としてイヴがアイドル的な人気になったのが昭和58年(1983年)。深夜テレビで取り上げられ、各種メディアにも出演し、知名度が全国区になっていった。イヴはノーパン喫茶を退店後、ロマンポルノやアダルトビデオに出演しているが、そのときのキャッチフレーズが「ノーパン喫茶の女王」だった。

彼女が在籍していたのは東京新宿・歌舞伎町の「USA」。昭和56年(1981年)にオープンしたマッサージ付きの個室ノーパン喫茶で、お触りなしの純粋なノーパン喫茶ではなくいわゆる風俗店の一種だ。

ノーパン喫茶は誕生から数年後の間に、ボディタッチ無しから進化を遂げ、〝ヌキ〟ありのサービスをおこなうようになっていた。

「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン
「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン

話はすこしずれてしまうが、黎明期のアダルトビデオはモデルの調達に苦労していた。また、物語や構成をふくめ、アダルトビデオがどういうものなのかが確立されておらず、制作側は手探り状態。極端にいうと、どんな映像をつくればいいのかがわからない。そんなとき、参考になる雛形としてあったのが当時のポルノ映画だった。しかし、ポルノ映画には物語があってシナリオもある。当然女優には演技が求められるし、セリフも言わなくてはならない。

黎明期のアダルトビデオのスタッフは、ポルノ映画の女優に出演を打診するも、知名度がまったくない新メディアに出演してくれる女優は皆無。結果、ビニ本や裏本に出演していた、また風俗店に勤務する娘たちをスカウトするに至る。

そんななかスカウトされたのが、竹下ゆかりや早川愛美、青木さやか(裏本「半分少女」出演)であった。イヴもそのなかのひとりだろう。1990年代以降も、風俗店からAVに転身する女優はいたが、アダルトビデオ黎明期にかぎっては、風俗ギャルのスカウトはやむにやまれぬ事情があったわけだ。

しかし、ビニ本や裏本のモデルの女の子たちや、風俗で働いている女の子たちは演技ができない。カメラの前でセリフを言ったことすらない。一説によると、演技ができないことを逆手にとって誕生したのが、のちに人気となる宇宙企画の素人本番モノだったという。

カメラの前でどんなにぎこちなくて、たどたどしくても問題はない、なぜなら女優ではなくて〝素人娘〟だからだ。ユーザーにとっては、むしろヘンにこなれていないほうが嬉しいし興奮する。

多くのユーザーがそう思っていたことは間違いなく、そのため、1980年代以降、アダルトビデオは隆盛を極める一方で、ポルノ映画は衰退していくことになる。

「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン

ノーパン喫茶ブーム後のイヴ~女優としての存在感が増していく~

イヴの話に戻るが、昭和59年7月1日発行の「SCREWスクリュー」(群雄社出版)に、映像進出する前のイヴに関する記事が掲載されている。

「SCREW スクリュー」(群雄社出版)。表紙はかわいいイラストでおとなしめだが内容は超過激
「SCREW スクリュー」(群雄社出版)。表紙はかわいいイラストでおとなしめだが内容は超過激

ちなみに群雄社の前身は、自販機本の大手版元だったアリス出版と双璧をなしていた版元のエルシー企画。山口百恵宅のゴミをあさり誌面に掲載した「JAM」の発行元としても有名だ。

エルシー企画は、のちにアリス出版と合併するが、ビニ本の最初のブームのころ、旧エルシー企画の連中がアリス出版から別れて、ビニ本発行のため立ち上げたのが群雄社だった。さらにその群雄社が後に、アダルトビデオメーカーのVIPエンタープライズとなっていく。

それはさておき、記事によると、昭和59年の2月20日、歌舞伎町を中心に風俗営業8店舗に当局の手が入ったとある。そしてほとんどがノーパン喫茶だったとも。イヴがマスコミに取り上げられることで目立っていた「USA」は目を付けられていたものの、このときは手入れを受けずに済んだという。

しかしイヴは、翌3月からほとんど店に顔を出してなかったようだ。そのときの取り締まりが、モデルや役者への転身を決意させた一因になったのではないかと記事には書かれている。

ところで、イヴのノーパン喫茶からの転身後の初仕事は、下着レンタル会社のイメージギャルと、その下着ショーへの出演だった。このときすでに「にっかつ」から話はあったようだが、役者には自信がないということで断っていたとか。

前項で、黎明期のアダルトビデオは風俗ギャルをスカウトしていたと書いたが、イヴの映像デビューは、1984年6月にリリースされた「感度イヴ」(日本ビデオ映像)。これは、前述の下着ショーのイメージビデオで、いわゆるアダルトビデオではない。彼女が本格的に映像に進出したのはロマンポルノが最初だった。

斜陽気味とはいえ、まだまだ力のあったにっかつがイヴに出演をオファーしたのは興味深い。なぜなら、前述のように、それなりに演技できないと絵にならないからだ。当然、ストーリーもある。ストーリーがあるということは、役柄になりきり登場人物の感情を表現しなくてはいけないということで、一定以上の演技力が求められる。

「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)のワンシーン

当時、アイドル扱いされていて大人気だったこともあるだろうが、1984年から1985年にかけて「イヴちゃんの花びら」、「イヴちゃんの姫」、「イヴの濡れてゆく」と3作品が立て続けに公開されていることを思うと、にっかつがいかに力を入れていたかがうかがえる。

ところで、記事のなかにノーパン喫茶「USA」のデータ的なものが書かれていた。ドリンク付き入場料が2000円で、個室6000円。8000円で当時大人気のイヴちゃんにヌイてもらえることを思うと、かなりお安いといえるだろう。

そんなイヴだが、私がぜひともオススメしたいのが「奈落の女教師 イヴ」(KUKI)だ。タイトルからもわかるとおり、女教師が結果的に犯され堕ちていく内容。女教師はもちろんイヴだ。

実のところ、「ノーパン喫茶の女王」として話題になったイヴだが、女優としての活動がもっとも長い。それを考えると、ノーパン喫茶は女優になるきっかけにしか過ぎないといえなくもない。

昭和オヤジはノーパン喫茶ときくと、条件反射的にイヴを連想すると書いたが、私はここで、「イヴ=ノーパン喫茶の女王」ではなく、「イヴ=女優」という新たな認識を抱くことを昭和オヤジたちに提唱したい。

そのことを私に教えてくれたのが、「奈落の女教師 イヴ」だった。

というわけで、「奈落の女教師 イヴ」については次回くわしく書いていきたいと思っている。

奈落の女教師 イヴ

イヴ(神代弓子)

308円~

参考文献
「アクション・カメラ術」(馬場憲治・著 KKベストセラーズ)
「アクション・カメラ術 PART2」(馬場憲治・著 KKベストセラーズ)
「アクション・カメラ術 in U.S.A  PART3」(矢吹黎明・著 KKベストセラーズ)
「フーゾクの現代史」(生駒明・著 清談社)
「日本昭和エロ大全」(辰巳出版)
「SCREW スクリュー 創刊号」(群雄社出版)

※本ページの一部の写真素材はアダルト無料レンタル素材集「大人の素材」より利用させていただいております。

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