中高年の活力の源はチンポ力(りょく)にあった!? ~真の「穏やかな老後」を考える~

チンポに忠実に従ってしまうと、よからぬ結果を生み出してしまうこともある。
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若いときは想像できなかった、オナニーするアラ還の私

悩む高齢の男性
悩む高アラ還でいまだオナニーに興じる私は、性欲過剰なのかと思い悩むこともしばしば齢の男性

まさか還暦になってもオナニーしているなんて思ってもみなかった!

アラ還昭和オヤジの方々のほとんどは自身で驚いているに違いない。私もそのひとりだ。

私が子供のころ、少子高齢化がいまほど社会問題化していなかったこともあってか、母親の父親、つまり祖父はまだ50代だったと思うが、それでも「じいさん」からオナニーの雰囲気を感じたことはなかった。

「ばあさん」とセックスしていたということではなく、セックスとか女とか、そういう浮ついたことにまったく興味がない、性を達観したような気配すら感じたものだった。

私の祖父が例外なのではない。おそらく世の「じいさん」たちは、家族やその周辺からそう思われていたに違いない。

だからこそ、自分が50代を終えようとしているいま、まだオナニーをする事実にあらためて驚愕しているというわけだ。

将来は、性欲を克服しパートナーとともに穏やかな老後を過ごしたいと思っているが……
将来は、性欲を克服しパートナーとともに穏やかな老後を過ごしたいと思っているが……

難しい話をするつもりはないが、『論語』に、「四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にしてしたがう」というのがあることはよく知られている。

しかし、それがどうだ。いまの自分は、天命を知るどころか、街中で薄着のお姉さんを見るとついつい凝視してしまい、ひまがあればネットでエロ画像や動画をあさる毎日。挙句の果てにはオナニーだ。

たしかに若いときにくらべたらオナニーの回数は減ってきたとはいえ、中高生のころとメンタルはほとんど変わっていない。

思えば私は、20代、30代、40代と精子を出すことにけっこうなお金をかけてきた。エロ本、エロビデオ、そして風俗だ。

モテなかったので下半身を満たすためにはお金をかけるしかなかった。

恋人や妻がいればセックス可能な反面、エロネタや風俗以上にお金がかかるという反論もあるだろう。

しかし、そんなことよりも私が強調したいのは、血気盛んな時期を過ぎると落ち着きが出てきて、下半身の満足などどうでもよくなる。つまりお金をかけなくてよくなるということだった。

たしかに、いまはネットでエロ動画が無料で見られるから、若いときよりはお金がかからない。

だからラッキー! という話ではなくて、性欲やチンポの支配から解放された穏やかな未来を想像していたわけだ。

繰り返すが、当時の私は、50代、60代になれば達観して下半身を満たすことなど考えなくてもよくなる。

そんな期待をしていた。

しかし、それがどうだろう。いまだにオナニーしている私が存在するし、私だけではない、

世のニュースをみれば、60代の男性が女子中学生を買春して捕まったり、70代の男性が痴漢をはたらいたりと、中高年の元気さには呆れてしまう。

さらにいまは、高齢者は〝老害〟などと揶揄され、若者から煙たがられる有様だし、じじいどうしのケンカも日常茶飯事だ。

私が思い描いていた〝達観した老後〟は幻だったのだろうか。

〝達観〟した未来のはずが、まさかの〝事案予備軍〟!?

太古の昔から、人間の本質は変っていないと思うので、おそらく私が子供のころの中高年も、達観していたわけではなかったのだろう。

というわけで私はいまも達観できず、相変わらずチンポに支配された生活を送っている。

チンポに支配されているとなにが問題かといえば、魔がさすときがあることだ。ほとんどの人間は、それを自制心でおさえているのだろう。

たとえば、満員電車内で隣に立っていたOLの胸元からいい匂いが漂ってきたとき、はたまた、女子大生が暮らすアパートのベランダにピンク色のブラやパンツが干されていたとき。

実家に帰省したとき、親戚の女子高生が予想よりもはるかにむちむちの身体に成長していたときなど、魔がさす場面をあげればきりがない。

そのとき、本当に魔がさしてしまうのか、それともガマンするのか。

抱えるものが大きい男性はガマンして自制するのが一般的などと、私は思わない。

なぜなら、弁護士が痴漢をはたらいたり、裁判官が買春したり、議員が女子トイレを盗撮したり、はたまた、教師が女子小学生の上履きをコレクションしたりする事件が実際に起きている。

つまり抱えているものがどんなに大きくても、自制することはできない。

自制するかどうかは、ときの運次第ではないだろうか。

私のようにアラ還になってもオナニーしてしまうような、チンポに支配された男は、運に見放されると事案、事件と転がりかねない。

男には魔がさしてしまう瞬間がある。いちどエロスイッチが入るともう止まらない。
男には魔がさしてしまう瞬間がある。いちどエロスイッチが入るともう止まらない。

そんな危機感を抱いているのは、おそらく私だけではないはずだ。

とくに昨今は、〝セクハラ〟の適用範囲が拡大傾向にあるため、チンポをうまくコントロールできている紳士でも事案になりかねない。

極論してしまうが、私をふくめた男性一般は、事案予備軍、もっというと犯罪予備軍といえなくもない。〝達観〟した中高年時代を満喫するつもりが、どこをどう間違ったのか犯罪予備軍だ。

一方で私は、年齢的に成人病予備軍なので、心と身体のバランスがとれていて良いと自虐気味になってしまう。

それはさておき、私もいつ、魔がさしてしまうかわからない。いつ塀の内側に落ちてもおかしくない。

自覚はそんなになかったが、こうしていろいろ考えてみると、そんな危うい日々を過ごしているといえなくもないだろう。

では次に考えることは何だろうか。

魔がさしてしまったとき、社会的地位や周辺の人々の信頼を失う、それは覚悟のうえとして、実際に塀のなかに入ったときにどうなるのかを知っておいたほうがいいかもしれない。

性犯罪の再犯率はとても高いときいている。つまり、何度も事件を起こしてしまう可能性が高い。

受刑者になったときどうすればいいのかを知っておくのは必要だろう。

そんな危機感を持っている私だからだろうか、犯罪者になったらどうしようと思いつつネットでエロ動画を物色していたところ、私の気持ちをすくい上げてくれたアダルト作品を見つけることができた。

それが、「「性犯罪撲滅治療院」 異常性欲犯罪ち〇ぽを、女性看守・M さん(既婚)が冷徹指導します」だ。

あって良かった「性犯罪撲滅治療院」

作品内容を簡単に説明すると、「性犯罪撲滅治療院」という更生施設に勤める女性看守の話だ。彼女が治療するのは、「性欲が強すぎて、過去に犯罪を犯した囚人」。つまり受刑者たち。

先に書いたように、性犯罪は再犯率が高い。通常の受刑者と同じように、ただ檻のなかに入れておけば再犯を防止できるというわけではないため、〝治療〟がおこなわれる。それを施すのが、本作主人公の女性看守だ。

ムリヤリにチンポを挿入しても女はまったく感じていない、ということを受刑者たちに徹底して周知させるために、女性看守は感情を表に出さない。もちろん、感じているフリもしない。

セックスは単なる業務の一環。受刑者たちは、チンポを挿入しても淡々と対応されるため、セックスに興味を失い、そのことがひいては自身の性欲にブレーキをかけることになる。

私が先に書いたように、性犯罪はなにも強姦だけではない。コンプライアンス厳しめな中でのセクハラ案件や、下着泥棒や盗撮などもある。

それらすべてに「性犯罪撲滅治療院」が効果的かどうかは未知数だろうが、方向性は間違っていないように思う。

結果的に性的快感を得られなければ、あえて犯罪を犯す必要はないし、魔がさすこともない。

女性看守は、顔色ひとつ変えずに囚人のチンポを受け入れる
女性看守は、顔色ひとつ変えずに囚人のチンポを受け入れる
女性看守の乳首チェック。感じてしまうと、一歩進んだ治療が必要になる。
女性看守の乳首チェック。感じてしまうと、一歩進んだ治療が必要になる

受刑者たちの心境はともかく、気になるのは女性看守のモチベーションだ。国家機関で働く女性看守は、性犯罪のない幸福な社会を実現したい高い志があるに違いない。

自分のマンコにチンポを挿入されることで、すこしでも良い社会が実現できるなら。そんな気持ちで業務を執行している。

自身の性的快感を優先して捕まった受刑者たちが、近視眼的な視点なのに対し、女性看守のなんと崇高なことか。

こんな女性看守に治療してもらったのなら、畏れ多くてチンポが縮みあがってしまうだろう。つまり、治療成功だ。

その一方で、もしもこんな治療施設が本当に存在しているなら、いつ魔がさしても安心といえなくもない。

しかし、ここで困った問題が出てくる。

マンコにチンポを挿入され、マン汁が大量にあふれていても表情をまったく変えない女性に対して、性的興奮を覚えてしまう男性がいた場合だ。

そんな性癖の男性の場合は、してやったりといった具合に、矯正されるどころか性欲を加速させてしまう。

もちろん私は、本作で舞台の「性犯罪撲滅治療院」が本当に存在すればいいと思う一方で、AV作品なのだから、注目点はそこではないことは理解している。

おそらくメインテーマは、「快感をガマンしながらもイカされてしまう女性はエロい」ということだろう。また、そんな女性をみて興奮する人たちがメインユーザーだ。

死ぬ瞬間までオナネタをさがす高齢者たれ!

先に挙げたAV作品の舞台の矯正施設が本当にあれば、いくら魔がさしても安心と結論付けようと思ったが、実際は、そんな施設があれば逆にまた入りたくなってしまう。

私のように、アラ還になってもオナニーしている、チンポに支配された人間は、すすんで魔をさすかもしれない。

ところで、「時計じかけのオレンジ」(1971年公開)というスタンリー・キューブリック監督の有名な映画がある。

くわしい説明は避けるが、暴力とセックスへの衝動が異常に強い青年が主人公の物語だ。青年は捕まり、矯正治療を施される。

その後出所するが、治療の結果、暴力スイッチが入ると、身体が拒否して動けなくなり、自殺未遂にまで追い込まれてしまう。

さらにそのあと、政府の方針転換で、矯正治療は失敗だったとアピールする役割を担わされ、暴力とセックスへの衝動が復活するというもの。

印象的なのは、暴力とセックスへの衝動に支配されたときの青年のほうが、矯正治療後のおとなしい状態の青年よりも、生き生きとしていて活気に満ちあふれているということ。

「時計じかけのオレンジ」は未来の話ということもあり、現実のことではないのだが、私が繰り返し書いているチンポ支配について示唆的な内容だろうと思う。

長年にわたりチンポに支配されてきた私のような、いつ魔がさしてもおかしくない人間が、チンポの支配から解放されると何が起こるのか。

今回はじめて想像するが、おそらくは何の活力もない腑抜けのような人間になるだろう。脳の活性化もなくなり、もしかしたらボケが始まってしまうかもしれない。

人畜無害なのはいいが、何のために生きているのか自分でもわからない状態になるに違いない。

「カツリョク!」の原稿もおそらく書けなくなるだろう。

つまり、チンポに支配されていたのではなくて、チンポが本体だったのだ。

何歳になってもシコシコする日常が活力の源かもしれない。
何歳になってもシコシコする日常が活力の源かもしれない

以上の考察を経たあとで私は、魔がさしてしまうリスクを引き受け、この先ずっとチンポとともに生きていくことを決意した。

できるなら、70代、80代になってもオナニーする活力に満ちあふれた中高年でありたい。

思えば、これまで各メディアにおいて、中高年のセックスやオナニーについて語られたことはほとんどなかった。

私が若いころ、エロ本やエロビデオの主役は若いお姉さんで、相手の男優も若かった。それから約40年が経ち、高齢化が進行。エロユーザーの高齢化も激しいときく。

そのためか、ここ10年ほどは熟女や人妻がメインになっているようだ。また、60代、70代の女優も少なくない。

誰だ! 高齢者になると〝達観〟して女に惑わされない穏やかな日々を送ることができると言ったのは。

現実は逆で、みんなチンポが活力の基本となっている。

初恋、入学、就職など、これまで、さまざまな局面でドロップアウトを経験した私だが、チンポを生かす場面からはドロップアウトしたくない。

90代になっても、「昨日のオナネタはコレだったね」と笑顔で言えるようなステキな高齢者になりたいものだ。

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