風俗探訪シリーズ ~かつて話題になった裏風俗を語りたい「大人のパーティー」編

大人のパーティは南米ギャルの宝庫だった!
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裏風俗の進化系!?〝大人のパーティ〟を振りかえる

今回は、かつて都内を中心に拡大した〝大人のパーティ〟なる裏風俗を取り上げたい。

おそらく最盛期は1990年代の後半ごろから2000年代のはじめごろだったように記憶している。

大人のパーティとはいったいどんな風俗なのか。

最初に基本的なことを書いておくと、裏風俗と呼ばれるものでサービスは本番アリ。

値段がリーズナブルなため、イメージとしては「ちょんの間」に近いといえなくもないが、ちょんの間以上にお客の気持ちをわくわくさせる仕掛けがいくつも準備されていた。

それについてはあとで触れていきたい。

ちなみに、日本人女性が在籍している大人のパーティがある一方で、外国人女性だけが在籍する大人のパーティも存在していた。

南米ギャルの魅力は抜群のスタイルと明るさ

「日本人女性」と「外国人女性」ということで、選択肢はふたつ。たったふたつといえばそれまでだが、

ソープランドやファッションヘルスなど、メインの風俗ではない裏風俗の大人のパーティに選択肢があること自体が、

利用客をふくめた全体の充実度を物語っているといえるだろう。

今回あえて取り上げているくらいだから、私もかつての利用客だった。

以前の記事「はじめよう!風俗貯金 ~中出し風俗への思いが強すぎてオナニーに行き着いた顚末~」で書いたので、詳しい説明はさけるが、

1990年代以降の風俗は、フードルなる存在が脚光を浴び、風俗情報誌も乱立。表裏かぎらず、多種多様な風俗が提供されていた時期だった。

はっきりとした統計があるわけではないが、風俗客はそれ以前よりも増加傾向がみられたのではないだろうか。

風俗遊び自体も、よりハードルが低いものになっていたし、風俗で働く女性たちにとっても、より働きやすい雰囲気が形成されていたと思う。

そんななか、私は大人のパーティにハマってしまう。

私がハマったのは、日本人女性がいる大人のパーティではなくて外国人女性在籍の大人のパーティだった。

外国人女性が在籍している大人のパーティは、〝外人パーティ〟と呼ばれていた。

外人パーティには南米人の美女がわんさか

ところで私は当時、外国人が在籍する風俗に行くことがほとんどだった。日本人よりもスタイルが良い、見栄えが良いなどということもあったかもしれないが、私が外国人を選ぶ理由はふたつ。

日本人女性を相手したときのように会話をしなくていいことと、料金が比較的安かったことだ。

円滑な会話のコミュニケーションがないと、何がいいかというと、私のコミュ障がバレない。

といっても、外人風俗の料金が日本人風俗よりも高ければ、すこし考えてしまうが、外人風俗のほうが比較的安い。

つまり私にとっては願ったり叶ったりというのが外人パーティだった。

では、どこで外人パーティの情報を知るかというと、おもに三行広告だ。

いまは無き「内外タイムス」という夕刊紙が有名だったが、多種多様な裏風俗の広告が多数掲載されていた。

「外人パーティ 目黒 03-****-****」という感じで最低限の情報のみが掲載されており、当然写真もない。

文字情報だけでは、どんな風俗なのかわからないが、風俗情報誌や実話誌などに掲載されていた体験取材の類いの記事で、どんな内容の風俗なのかを知ることができた。

大阪や名古屋など、国内の大都市にも存在していたかもしれないが、私が行ったことがあるのは都内のみだ。

ところで、現在ネットで調べてみると、大人のパーティについての記事がいくつもヒットする。

かつては「ビデオ鑑賞会」と呼ばれていたということだが、たしかにそうだったと記憶をたどる一方で、外国人が参入してきた当時はすでに「大人のパーティ」なる名称が使われていたように思う。

では、次項から、私の体験談をもとにしつつ、外人パーティを熱く語っていきたい。

料金を払って案内されるとそこは〝顔見せ部屋〟

モデル級の美女をお手頃価格で抱ける!

思えば、私が最初に外人パーティを利用したのは東京・目黒だった。内外タイムスに掲載されていた三行広告がきっかけだ。

掲載されていた電話番号に電話することからすべては始まる。

前述のように三行広告には、サービスの詳細とか料金とかはまったく書かれていない。

目黒にかぎらず、当時都内にはたくさんの外人パーティが営業されていた。まず電話して予約をするのだが、場所が書かれていないため、電話で聞くことになる。店舗に行くか、ホテルに行くかの違いはあるものの、そのあたりはいまの無店舗型風俗と同じようなものだろう。

ちなみに私は最寄り駅でいつも電話していた。

当時は携帯電話はそこまで普及しておらず私も持っていなかった。そのため、駅付近の公衆電話から、広告に掲載されていた番号に電話をする。

電話に出るのはだいたいオヤジで、オヤジは具体的なマンション名と部屋番号をその電話で教えてくれる。

目黒、池袋、西日暮里など、都内の各地で外人パーティを体験した私だが、店舗があるのは大型のマンションが一般的だった。目黒の場合は、一階に飲食店のテナントが入っている大通りに面したマンションだった。そのマンション自体はいまでも存在している。

店舗といっても看板が掲げられているわけではなく、部屋のトビラにそれらしき目印があるわけでもない。

大型のマンションは部屋がたくさんあるし、どの階も似たような風景が見られる。だから部屋を間違えてしまうと大変だ。オヤジから告げられた部屋番号を間違えないように慎重になりながら行った記憶がよみがえる。

部屋のピンポンを鳴らすと、電話のオヤジがトビラを開けてくれる。電話で申告した予約名をいってなかに入れてもらうのだが、私はいつも本名を告げていた。もちろん名字だけだが。

なかは普通の住居用の部屋で、2DKや3DKの部屋がいちばん多かったように思う。部屋の手前の通路や、ダイニングにロッカーが置かれていて、そこでオヤジから着がえるように言われる。

しかし、着がえといっても別の服装になるのではなく、パンツ姿で上はオヤジから渡された、ペラペラのシャツだったような記憶がある。

そして、案内されて外人ギャルやほかのお客のいる部屋へと入っていく。

ダイナマイトボディとの一戦は互いに汗だく

私が経験した外人パーティはすべて、部屋は和室使用になっていた。つまりイスはなくて床に直接座る。ローテーブルが置かれているところもあったが、テーブルが置かれていないところもあった。

最初に案内される部屋は、どういう役割の部屋なのかというと、外人ギャルの〝顔見せ〟として機能している部屋だ。

ところで、マンションに入った時点でオヤジに料金を払っており。このとき、一回戦か二回戦を選ぶ。一回戦はセックス一回で二回戦はセックス二回だ。料金はたしか、二回戦で20k円強だったような記憶がある。つまり本番一回約10k円。

かなりリーズナブルといえるだろう。ちなみに時間はあってないようなもので、ちょんの間や各種風俗だと、いちおう時間は決められている。しかし外人パーティは、たとえば二回戦を終えてすこし休憩したあと、またムクムクとしてヤリたくなった場合、受付のオヤジに料金を払えばプレイすることができる。

とはいっても、だいたいのお客は最初に一回戦か二回戦かを決めて、それが終わると、ほどなくしてマンションから出るし、私もそうしていた。

また、オヤジに料金を払う際にチケットを受け取ることになっている。一回戦ならひとつで、二回戦はふたつ。チケットは紙の場合もあったし、ロッカーのカギについているようなプラスチックの札のようなものを渡される場合もあった。

ふたたび〝顔見せ部屋〟の話に戻る。

この部屋には、プレイ中でない外人ギャルとほかのお客が座っている。どこの外人パーティでもそうだったが、外人ギャルは全員で3、4人だった。

お客の数はそのときでまちまちだが、やはり土日は多かった印象がある。

部屋に入る瞬間は、緊張の一瞬だ。どんな外人ギャルがいるのか、このとき初めてわかるので、全員がハズレということも無いとはいえない。

しかし、私の経験では、全員がそれなりにアタリで、なかには大アタリという外人ギャルも少なくなかった。だからこそ私はなんども足を運んだわけだ。

すぐ隣で他人が交わる姿を横目にしながら二回戦!

チンチンがはね返されそうな弾力ボディに癒されてみたい

女性陣のルックスはもちろん気になるが、その一方でお客のことも気になる。当時の外人パーティだと、お客にイケメン風のオトコはまったくおらず、年齢も40代から50代が中心だった。

ちなみに当時、ギリギリ30代だった私はお客のなかではまだ若いほうだった。裏風俗ということもあって、間違っても20歳そこそこの大学生や若いサラリーマンは見たことがなかった。

私だけではないと思うが、自分以外のお客が自分よりも若かったり容姿が勝っていたりすると、チンポが委縮してしまう。プレッシャーを感じてボッキが遅れる可能性も高くなるだろう。

ソープの待合室やピンサロの待合室での緊張の半分は、女の子と会う前の緊張感よりも、ほかのお客からの見えないプレッシャーだといってもいいかもしれない。

とくに私は、外見に激しい劣等感を抱えているため、イケメン&高身長のお客が同じ待合室にいると、店から逃げ出したくなってしまう。

ところが、そんな気持ちになったことがない唯一の風俗が外人パーティだった。

前述したように、裏風俗というハードルが、各種の若いイケメンたちを寄せ付けなかったのだろうと思っている。

90年代の都内各地には南米美女の立ちんぼもいた

さて、ここからは肝心の外人ギャルたちについて書いていこうと思う。

彼女らは全員が中南米出身だった。ベネズエラやコロンビアが多かったように思う。間違っても欧米の白人はいない。

彼女たちのなにが素晴らしいかといえば、まずはスタイルが良いこと。ルックスも、エキゾチックな顔が好みな私のストライクゾーンから外れたことはなかった。

加えて明るい。私は、他人のアラさがしをしてはニヤニヤしているような根が暗い人種なので、彼女たちの明るい性格に癒された。

彼女たちもお客同様半裸で、たいていはブラとパンツ姿。年齢はというと、ほとんどは20代で若く、高くても30代前半だったように思う。

そんな彼女たちをお客はじっくりと吟味。気に入った女の子がいれば、受付のオヤジから受け取ったチケットをその娘にわたす。そうすると、別の部屋に連れて行かれて一線を交えるという展開になる。

別の部屋といっても、フスマひとつ隔てた隣の部屋で、そこにはいくつか布団が敷かれている。布団と布団との間はカーテンで仕切られてはいるが、声は丸聞こえだし、カーテンも簡易的で薄いペラペラなものなので、パコパコしている姿が見えることもめずらしくない。

ただし部屋の照明は暗くなっている。隣の客の本番行為を隠すというよりは、ムードを出すためのはからいだろう。

ちなみに彼女たちは、日常会話レベルの日本語はできるようだった。

ラテン系の南米人ときくと、情熱的なセックスを思い浮かべてしまうが、完全にマグロというわけではないにしてもプレイの濃厚さはそこまで期待できない。

ただそれは、南米人だからとか日本人だからとかいう理由ではなく、仕事でセックスしているので、あまりに本番行為にのめり込んでしまうと身体がもたないという理由があるからだろう。

とはいえ、あるとき正常位でハメていると「バック好き?」ときかれて「好き」と答えたところ、南米ギャルが四つん這いでマンコを向けたことがあった。そのときのバックでの射精はとても気持ちよかったことを覚えている。

また本番はコンドームありで、フェラもコンドーム越しだったような記憶がある。

そして一回戦が終わると、ふたたび顔見せ部屋に戻り、二回戦目の女の子を物色するという運びだ。

すぐに店が無くなるためお客も都内各地を点々!?

善良な市民は風俗営業の臭いを嗅ぎつける

当時、零細企業の会社員だった私は、会社が休みの土日を利用して、多いときには一週間にいちどの頻度で外人パーティを利用していた。

彼女たちとは基本的に一期一会。だから源氏名などないし、次に同じ店に行ってもいないのが普通だった。それから困ったことには、店がなくなるのがとてもはやいこと。

テナントが入っていて、駅近くのマンションとはいえ、やはり住人はいるし住居として利用されている部屋のほうが圧倒的に多い。

たとえば同じフロアの近くの部屋とか、それこそ隣の部屋とかに、不特定多数の男たちが頻繁に出入しているとなると、とても目立つ。さらに、決して地味ではない南米のお姉ちゃんたちも複数人いるとなると、普通の住人は、部屋のなかで良からぬことがおこなわれていると想像するだろう。

想像だけならいいが、警察に連絡をする住民も少なからずいる。かくして違法風俗がバレ、またはバレると察知した経営者が部屋を引き払い別のところに移るという具合だ。

このサイクルが、短くて二週間くらいだから、次また行きたいと思っても、店がなくなっている場合のほうが多い。

最初に都内の各場所の外人パーティを利用したと書いたが、逆にいうと、店がすぐになくなってしまうため、お客も点々とせざるを得ないというわけだ。

そんなわけで、私の風俗年表のなかで確固たるポジションを占めている外人パーティだが、いつの間にかすべてなくなっていた。時期ははっきりと覚えていないが、2000年代前半にはほぼ壊滅したのではなかっただろうか。

外人ではなく日本人が相手をする〝大人のパーティ〟はまだ存続していたが、南米のお姉ちゃんのハリのあるバストやヒップを堪能しながらのセックスに魅了されていた私は、外人パーティがなくなったからといって、大人のパーティを利用する気持ちにはなれなかった。

ヤリサー的なノリが外人パーティの最大の魅力!?

ヤリサー的なノリで全員が穴兄弟!

以上、外人パーティの良さが、きちんと皆さんに伝わったかどうか不安なところだが、もうひとつ良いところを挙げるとしたら、顔見せ部屋での一体感だろう。顔見せ部屋には、お菓子やらお茶やジュースが置かれている場合もあり、お客たちもそれを飲んだり食べたりしながら待機することができた。

なにがいいたいのかというと、お客たちはお客たち、南米のお姉ちゃんたちはお姉ちゃんたちでかたまり、それらふたつが一定の距離をとっているという感じではなく、全員が知り合いみたいにお菓子を食べたりジュースを飲んだり、ときにイチャイチャしたりと、私は経験したことがないのではっきりとわからないまでも、〝ヤリサー〟的なノリを満喫することができるのもとても良かった。

お客のキャラクターや南米のお姉ちゃんのキャラクターにもよるだろうが、私が利用した外人パーティは、どの顔見せ部屋もそんな感じのノリだった。

風俗の目的は、最終的には射精を成し遂げることだ。

しかし、そこに至るまでの過程がとても大切なのは皆さん認めるところだろう。冒頭、外人パーティはちょんの間に近いといえなくもないと書いたが、挿入までの過程を追うと、ちょんの間とは比べものにならないほどボッキを誘発させるものがたくさんあると思う。

そのひとつが、顔見せ部屋での体験だということはすでに書いた。

また、とても個人的なことだが、私の股間を震わせてくれた体験談をご紹介して今回は締めくくろうと思う。

じつは私は、十代のころからワキフェチで、女性のワキに性的興奮をおぼえる。だから、風俗に行ったときチャンスがあれば、相手のワキの下を凝視したり、舐めたりして楽しむことが多い。

フェラのときは相手にバンザイさせて両ワキを眺めながらしゃぶってもらうし、たとえば裏風俗に行き正常位でハメた場合は、ワキを舐めながら突くとことのほかボッキが持続する。というか中折れしない。

そんなわけなので、外人パーティでも正常位でハメながら、南米のお姉ちゃんにバンザイをさせて片方のワキの下を舐めながら突いた。

そしたらなんということか、ワキの下から超フレーバーな香りが漂ってきた。ワキガではなくてスパイス臭。食べ物が体臭を決定していると考えると、あのワキ臭は日本人女性では絶対にあり得ない。

もちろん私は激ボッキ。スパイス臭のワキを舐めて堪能しながらゴム射して大満足だった。

というわけで、私は外人パーティに良い思いでしかない。だから壊滅したときは、残念で仕方がなかった。

もういちど強い円が戻ると、南米のお姉ちゃんたちはまた日本に来てくれるのだろうか。

あのスパイシーワキの南米のお姉ちゃんのことを思い出すと、いまだに股間がズキズキすることがある。

南米娘のスパイシーなワキが忘れられない
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