グラドルはどこから来たか ~昭和・平成 タレント変遷物語~

豊かに実ったグラドルの肢体は癒しと興奮を与えてくれる
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昭和のころグラドルは存在しなかった

ビーチでビキニがグラビア撮影の王道

今回はグラドルのお話をしていこうと思う。グラドルとはグラビアアイドルの略称で、グラビアを主戦場とするアイドルのことだ。

またグラビアとは、ビキニを中心とした水着姿を想定している。そのため、グラドルは、ルックスはもちろんのことスタイルが良いのは当たり前だし、一般的にはバストやヒップが大きい。つまり豊満ボディである。

知名度があまりないグラドルもふくめると、供給は過剰な状態。

一方、主戦場の雑誌グラビアの数は、出版不況もあいまって現状維持か減少傾向で競争は熾烈。

人気のあるトップ集団は、テレビ進出というイス取りゲームもあり、以前にも増して競争は激化中といえるだろう。

そのため、「天気予報士」でグラドル、「起業家」でグラドル、「女子プロレスラー」でグラドルなど、グラドル以外の〝付加価値〟で目立ち、激戦から一歩抜け出ようとするグラドルもめずらしくない。

少子化で若者が少ない現在、こんなにも競争が激しいのだから、人数が多い昭和はさぞかし凄まじい競争だったのだろうと思う平成以後の世代もいるかもしれない。

しかし昭和のころ、そんな競争はなかった。なぜなら、グラドルという存在がいなかったからだ。平成になるとほぼ同じ時期に誕生したのがグラドルというカテゴリーだった。

というわけで、今回はグラドルの誕生と、ほかのカテゴリー、アイドルや女優との関連についても語っていきたい。

1970年代前半、女性アイドルが次々と誕生した。代表的な女性アイドルは、天地真理、南沙織、中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)などである。

それらのアイドル歌手たちは、1960年代に人気になった女性歌手の活躍を受けてデビューしており、昭和のアイドル登竜門番組「スター誕生」も1971年に放送が開始されている。

つまり、女性アイドル歌手を売り出していこう、歌+ルックスでファンを獲得していこうと送り手側は考えていた。

余談だが、1950年代から男性アイドルは存在していた。それを考えると女性アイドルの一般化はずいぶんと遅れたことになる。

男性アイドルに群がる若い女性というのは絵になるが、少なくとも昭和のころは、女性アイドルに群がる若い男性たちという絵は違和感があった。

なぜなら、男子たる者、アイドルとはいえ女性の尻を追いかけるなど軟弱にも程があるという価値観が色濃かったからだと私は思っている。

年代が進むにつれて水着の面積は小さくなる傾向

グラドルの先駆けは〝キャンペーンガール〟

1980年代はスタイル抜群のキャンペーンガールがグラビアの主役

そして1970年代後半、石野真子、ピンク・レディー、キャンディーズ、大場久美子などが登場する。

ピンク・レディーは小学生に大人気で、いまよりもはるかに権威のあったレコード大賞も獲得。またライバルのキャンディーズに群がったのは、当時の男子大学生を中心とした若い男性たちだった。

このころになると、女性アイドルのファンクラブなるものも結成されて、女性アイドルを追いかける若い男性という存在も一般的になってくる。

ふたたびグラドルの話に戻すと、当時、グラドルは存在しないが、「グラドル的な活動をする」女性タレントたちは存在していた。〝キャンペーンガール〟だ。

キャンペーンガールの選考をおこなっている企業としては、旭化成や東レなどの繊維メーカーや、全日空や日本航空といった航空会社が有名だろう。

キャンペーンガールは企業が仕掛けるキャンペーンの顔となるため、メディアに多く露出することになる。そのなかのひとつが雑誌のグラビアだった。

キャンペーンガールをメインに置いたテレビ番組はなかったが、彼女らは企業のCMに出演しているため、視聴者はなんどもそのCM、ひいてはキャンペーンガールたちを見ることになる。

雑誌のグラビアやCMは当然、ビキニを含めた水着着用。スタイル抜群の肢体をグラビアや映像でさらすことになる。

これらキャンペーンガールに選考されるのは日本人だけでなく、外国人やハーフの女性も少なくない。日本人女性よりもスタイルが良いからだ。

1970年代後半に大人気だったアグネス・ラムもそのなかのひとりといってもいいだろう。

というわけで、昭和とくに1970年代後半から80年代にかけての雑誌グラビアは、キャンペーンガールの独壇場だった。

彼女らは、テレビ番組に出るわけではなく、アグネス・ラムのような一部の例外を除き歌手活動をするわけでもないため、「グラドル的な活動をする女性タレント」、つまりグラドルの先駆けといえるだろう。

1980年代当時は海外勢のキャンペーンガールもめずらしくない

アグネス・ラム、榊原郁恵 「童顔+豊満ボディ」の登場

昭和のグラビアは季節感があり、正月は着物着用

前ところで女性アイドルも当時、雑誌グラビアに登場することがあった。しかし、それはあくまでプロモーションのひとつであり、グラビアが主戦場ではない。

加えて、当時の女性アイドルはスレンダー体型が基本であり、バストは大きくないのがよしとされていた。

なぜ巨乳がよしとされてなかったのかを話すと長くなるため、いつかそのテーマで独立して語りたいと思う。

ちなみに〝巨乳〟も平成以降に出てきた表現で、グラドル誕生とともにバストもヒップもむっちりの美女が次々登場してくる状況とちょうどシンクロしている。

女性アイドルのグラビア登場の話に戻すと、当時の女性アイドルは、多くがワンピースタイプの水着着用。ビキニのときもあるが、いかんせんスレンダー体型でバストも小さいため、スタイル抜群のキャンペーンガールと比べると見劣りしてしまう。

そんなわけで、どこまで歌手活動のプロモーションになったのかは疑問だが、そもそも女性アイドルが水着のグラビアを披露するのは夏だけだった。

正月は和服を着たグラビアだったし、秋冬に水着を披露しているグラビアがあったとしたら、それはハワイやグアムなど海外で撮影されたものだったと記憶している。

また、キャンペーンガールにしても、基本的に水着をさらすのは夏だけ。航空会社のキャンペーンは、そもそも〝夏の沖縄〟というように夏限定だった。

思えば、グラビアに季節感がなくなり、一年中ビキニの美女が見られるようになったのも平成以降だと思う。

豊満バストのアイドルの登場でアイドルシーンが活気づく

そんなかか、革命的な女性アイドルが登場する。榊原郁恵だ。スレンダーが基本だった女性アイドルシーンにふくよかな美少女が現れたということで、業界内外は激震が走ったのではなかっただろうか。

いま思うと、ホリプロだからできたといってもいい。歌にバラエティに女優と活躍していた和田アキ子という成功例があり、榊原郁恵も歌手活動だけにとらわれない売り方を、ホリプロ側は最初から想定していたに違いない。だからこその「第一回タレントスカウトキャラバン」優勝だ。

一方で、すでにアグネス・ラムの人気は凄まじいことになっており、「童顔+豊満ボディ」はイケると業界周辺の関係者は思っただろう。

ファンにしても同じで、スレンダー体型しか選択肢がなかったところに、豊満ボディで童顔のアイドルが登場したことで、アイドル市場に新規ファンを新たに取り込んだのではないだろうか。

アグネス・ラムや榊原郁恵からスタートした「童顔+豊満ボディ」の系譜は、その後、宮崎美子、柏原芳恵、河合奈保子などに引き継がれ、現在も続いている。

アイドル枠に限らず、グラドルや女優など、複数のジャンルに拡大しているといっていいだろう。

アイドルの変遷を追うことが、グラドルにどうつながるが疑問に持たれたかたもいるだろう。1980年代のアイドルシーンが、それについて決定的に重要なので、もうすこしお付き合い願いたい。

山口百恵引退の前後で、松田聖子がデビューする。ご存知のようにヒット曲を立て続けにとばしてトップアイドルとして君臨した。またアイドル豊作といわれた1982年デビュー組のひとり、中森明菜も人気では松田聖子に引けをとらなかった。

そしてしばらく松田聖子、中森明菜のツートップ時代が続く。そこに出てきたのがおニャン子クラブだ。

おニャン子クラブの登場は、アイドル歌手の意義自体を揺るがす大事件だった。

平成以降、アイドル歌手市場が縮小していく

バンドブームとJ-POPの流行で女性アイドルは死滅

アイドル歌手は歌を歌うことがメインだ。いくらルックスがよくても歌が上手くなくてはいけない。

だからこそデビュー前後の歌のレッスンは過酷なものだった。ところが、おニャン子クラブは、プロではなくて素人娘たちなので、歌が下手なのは当たり前。

歌が上手いとか下手とかではなく、素人っぽいか、可愛いかどうかが同年代のファンたちの判断基準だった。

とくに80年代は、次から次へとアイドルがデビューする。ファンはより新しいアイドルを求めているため、人気がある期間はとても短い。

秋元康はもちろんそのことを百も承知で、それならばデビュー直後の新鮮さをウリにして瞬間風速が最大時にアイドルを提供しようとし、未完成のアイドルをファンといっしょに育てていく演出もこころみる。

結果は大成功で、おニャン子クラブは一大ムーブメントになり、そのある部分は、現在でもAKB系の女性アイドルグループに引き継がれている。

それはともかく、おニャン子クラブの成功で業界関係者はあらためて気が付く。

素人っぽさが求められているのなら、歌のレッスンや発声練習など、わざわざ時間と手間をかけて訓練しなくてもいいんじゃないか……。

かくしてアイドルの送り手側はこのあたりから迷走するようになる。とはいっても、おニャン子クラブ以後も、南野陽子、中山美穂、斉藤由貴など、トップアイドルは活躍していたし、アイドルを目指す素人の女の子たちも多かった。

一方、1980年代後半、昭和の終わりごろになると、バンドブームなるものが起きる。また同じころ、ベストテン形式の歌番組がいくつか終了し、アイドルたちはテレビに露出する機会が減っていく。

そして平成になると、ひとりの女の子を時間をかけて育成してもペイできないようになり、結果、それまでの芸能事務所は、「プロのアイドル」を育てられなくなってくる。

かくして、平成中期以降、アイドルポップスは〝J-P0P〟に変遷。いわゆるアイドル歌手ではなく、〝アーティスト〟を前面に押し出したプロモーションを展開。

ここにきて、それまで男性ファンがほとんどだった女性アイドルのファンが、女性中心へとシフトしていく。安室奈美恵や浜崎あゆみが典型的な例だろう。

<グラドル大活躍の時代はそんなに長くなかった!?>

巨乳以外はグラドルにあらず!

一方で、女性のタレントを応援したいという男性のニーズはあり、その一部はアダルトビデオに流れ、

一部は、数が少なくなっていたが、従来のスタイルを残す女性アイドルに行った。

そのころ、具体的には平成になる前後、豊満ボディでスタイルの良い美少女たちが登場してくる。

彼女たちは、ノビシロの見込めなくなっているアイドル歌手市場に参入することなど、はじめから想定しておらず、当時まだ比較的ブルーオーシャンだったグラビア市場を主戦場とすることを意識的にやっていたと私は思っている。

ちなみに当時のグラビア界隈は、アダルトビデオ女優に占拠された状態だった。逆にいうと、そこまで知られていないがヌードにはならずビキニどまり。そんな女性タレントはほとんどいなかった。

前述したように、キャンペーンガールは定期的に供給されていたが、当時、キャンペーンガール→女優という成功の方程式ができあがりつつあり、いつまでも水着を披露するつもりは、事務所もキャンペーンガール本人もなかった。

かといって、次々とデビューするわけではなく、だいたいは一年に一度。風物詩みたいなもので、常にグラビアを騒がせていたわけではない。

またこれは結果論かもしれないが、アダルトビデオが登場した当時の1980年代半ば、出演女優たちは清楚な美少女系素人を積極的に売り出したことの反動からか、昭和の終わりごろは淫乱ブームが起きる。

淫乱系の女優は、グラビアで魅せるよりは映像での存在感のほうが圧倒的だ。

まとめると、アダルトビデオ女優と夏に登場するキャンペーンガールくらいしかグラビアを展開している女性タレントはおらず人材が足りてなかった。

つまりは、かとうれいこや堀江しのぶ、細川ふみえなど初期グラドルが活躍できる土台が揃っていたともいえるだろう。

それにともない進行していたのが、〝巨乳化〟だ。貧相なボディよりもムチムチでバストもヒップもパンパンのボディのほうが見栄えがいいのは当然だ。

また、上記挙げた初期グラドルたちはいずれも、「童顔+豊満ボディ」の系譜を引き継いでいる。違うのは、初期グラドルは、意識的に「ちょいエロ」を前面に出していたこと。

彼女らの成功によってグラドルのポジションは確立し、山田まりや、小池栄子、根本はるみなど、続くグラドルたちが活躍することになる。

下着姿の女性アイドルたちの写真集が売れているというが……

以上、グラドルの誕生について語ってきたが、武田久美子というアイドルの芸能活動を追ってみると、そのあたりのことがあらためてよくわかる。

武田久美子は、「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト’81」で優勝。このときは中学生だった。その後、アイドル歌手としてデビューするが、当時のアイドルシーンは相当な激戦。

武田久美子はアイドル歌手としては大成しなかったが、1980年代後半にはエロ写真集、1990年以降はヌード写真集をリリースしており、清楚系アイドルからエロへ舵を切った時期が、初期グラドルが登場した時期とちょうど重なる。

「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト’81」は自分で応募したとのことで、エロ写真集のリリースも、豊満ボディがウリになると自分で気が付いたに違いない。

それはさておき、1970年代にはマイナーな存在だった「童顔+豊満ボディ」の女性タレントだが、現在のグラドルをみると、ほぼすべてが「童顔+豊満ボディ」ばかりということにあらためて気が付く。

「童顔+豊満ボディ」のニーズは、グラドルに集約されたといってもいいだろう。

ところで現在、写真集の売上をみると、女性アイドルが上位を占めているという。女性アイドルとは、もちろんAKB系のアイドルや坂道グループだ。

女性アイドルたちは水着よりも露出度は一歩進み、下着姿をさらしているため、注目度はたしかに高いだろう。それよりも意外だったのは、上位ランキングを「童顔+豊満ボディ」のグラドルが独占しているわけではないこと。

おもに女性誌だろうが、男性とはまた違った視点から女性アイドルを応援する女性たちが増えたということだと私は思っている。

「こんなキュートな顔になりたい」「こんなキレイな身体になりたい」そんな視点で、女性たちは女性アイドルを応援している。

女性写真集市場に、女性たちがユーザーとして入り込んできた結果、売上をのばしたのだろう。

そうだとすると、これまで私が力説してきた「童顔+豊満ボディ」は局所的な動きということもいえる。

女性たちからしてみれば、「童顔+豊満ボディ」はどんくさく映るかもしれないため、自身がなりたいサンプル素材としては不適格だ。

男性が思うふくよかと、女性が思うふくよかは明らかに違っていて、女性はともすれば痩せ型のモデル体型を理想とすることが少なくない。

そんなことを考えていると、1990年代、グラビアやテレビをグラドルが席巻していたことが、はるか遠い昔のことのように思えてくる。


当記事で使用している画像素材の一部は「大人の素材」からお借りしています。

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